米ミネソタ州出身のエディ・コクランは、1955年にハンク・コクランと組んだカントリー・デュオ、コクラン・ブラザーズとしてレコード・デビューする。
2人ともコクランで、ブラザーズを名乗ってはいるけれど、血縁関係ではなく、赤の他人である。「堂本兄弟」みたいなものだ。
しかし、コクラン・ブラザーズはシングル3枚で解散し、ハンクはカントリー・シンガーとして後に成功する。
エディは18歳で「バルコニーに座って」でソロ・デビューを果たした。
そして「サマータイム・ブルース」などの大ヒットで、ロックンロール草創期の立役者となった。
そして、21歳のときに交通事故でこの世を去る。
わずか3年、あっという間のことだった。
20世紀前半は世界大戦が続き、人類が自滅の危機に瀕した最悪の時期だったが、その悪い流れを変えたのがロックンロールの誕生だったとわたしは思っている。
なのにそのロックンロール・ヒーローたちはことごとく若くして表舞台から姿を消すか、あっという間にこの世を去っていった。
このひどい仕打ちはなんなのだろうか。神様はそんなにロックンロールが嫌いなのか。
エディ・コクランが生前に発売したシングルは11枚、アルバムは1枚のみだったが、その後も多くのアーティストたちが彼の曲をカバーし、死から60年経った今もなお、彼の音楽は聴き継がれている。神には愛されなかったが、人類には愛されている。
彼の音楽には当時の新鮮な響きや生々しい興奮がそのまま感じられる。だから時代が変わっても聴き継がれるのだろう。
以下はわたしが選んだ、エディ・コクランの至極の名曲ベスト5です。
Jeannie, Jeannie, Jeannie
一度聴いただけで覚えられる、シンプル極まりないキャッチーなロックンロール。
ストレイ・キャッツがあの名盤、1stアルバムでカバーしている。われわれの世代なんかはストレイ・キャッツから彼のことを知ったという人も多いだろう。わたしもそのひとりだ。
わたしはこれを永らくリトル・リチャードの1957年のシングル「ジェニ・ジェニ」と同一曲だと思い込んでいた。
タイトルもそっくりだけど「ジェニジェニジェーニ!」という歌い出しもよく似ているからだ。
ちゃんと聴けば全然違うのだけれど、違うことに気が付いたのはなんと、今から4日前のことである。
Twenty Flight Rock
1956年、コクラン・ブラザーズを解散したエディにひょんなことから映画出演の話が舞い込んだ。
当時のロックンローラーたちが多数出演した『女はそれを我慢できない』という音楽映画で、コクランはこの「トウェンティ・フライト・ロック」を演奏するシーンがある。
この出演をきっかけにリバティ・レコードと契約し、ソロ・デビューすることになる。エディ・コクラン、17歳のときのことである。
ローリング・ストーンズが1982年のライヴ盤『スティル・ライフ』で思わず唸るほどカッコ良くカバーしている。この曲をこのストーンズ版で知ったという人も多いだろう。わたしもそのひとりだ。
動画はその『女はそれを我慢できない』の出演シーンから。
関係ないけど、ブロンド女の胸のデカさが気になる。
Somethin´Else
エディのガールフレンドのシャロンと、兄のボブが書いた曲。全米58位、全英22位。
発表から20年後、ジョニー・ロットンが抜けた後の、シド・ヴィシャスがヴォーカルを取った偽セックス・ピストルズのバージョンが全英3位のヒットとなった。これをきっかけにパンクスたちがエディ・コクランを聴いたという貢献は果たしただろう。シド・ヴィシャスが生前行った唯一の善行と言えるかもしれない。
パンクからロックンロールの原点へと遡る窓口として、エディ・コクランはすごく入りやすかったと思う。わたしもそこから入った。
C’mon Everybody
全米35位、全英6位。
わたしがこの曲を初めて聴いたときはすでに発表から30年近く経っていた。でも、なんてクールでカッコいいんだろう、と思った。ケバケバしいロックやややこしいロックに汚れっちまった耳が洗われるようだった。
今やもう、発表から62年が経ってしまったけど、今聴いてもまだ清々しい響きがする。生まれたての天使のような、ロックンロールの赤ちゃんだ。
Summertime Blues
エディ・コクランの最大のヒット曲。全米8位、全英18位。
夏だっつーのに働いてばかりで、遊びにも行けない若者の歎きを歌った曲だ。
わたしは働いてるか飲んでるか寝てるかぐらいのつまらない人間なので、働くことについての歌はリアルに共感できる。みんな働いてるのだから、もっと働くことについての歌がたくさんあればいいのに、と思うほどだ。
以上、エディ・コクラン【名曲ベスト5】でした。
(Goro)