実験的な試みと遊び心でロックの可能性を切り拓いた 〜バディ・ホリー『バディ・ホリー』(1958)【最強ロック名盤500】#58

Buddy Holly by Buddy Holly on TIDAL

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【最強ロック名盤500】#58
Buddy Holly
“Buddy Holly” (1958)

それまでは「ロックンロール」と言ってもビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツのような大所帯の「楽団」が主流だった。そしてそれは、娯楽的なダンスミュージックのようなものだった。

ヴォーカル&ギター、ギター、ベース、ドラムスという最小編成で、ドラムス以外は立って演奏する、という今ではあたりまえのロックバンドのスタイルは、このバディ・ホリー&ザ・クリケッツが原型となっている。彼らのスタイルに憧れて、ビートルズなどのブリティッシュ・ビート・バンドたちが真似したのだ。

またバディ・ホリーはフェンダー・ストラトキャスターを弾いているが、このギターのチョイスも当時としてはめずらしかったが、以降のロックバンドでは王道となっていった。

本作は、セルフタイトルで、ソロデビュー盤のような体裁になっているが、実質的にはバディ・ホリーの2ndアルバムである。バックの演奏も前作と同じ、ザ・クリケッツのメンバーだ。

SIDE A

1 アイム・ゴナ・ラヴ・ユー・トゥー
2 ペギー・スー
3 ルック・アット・ミー
4 リッスン・トゥ・ミー
5 ヴァレー・オブ・ティアーズ
6 レディ・テディ

SIDE B

1 エヴリデイ
2 メイルマン、ブリング・ミー・ノー・モア・ブルース
3 ワーズ・オブ・ラヴ
4 ベイビー・アイ・ドント・ケア
5 レイヴ・オン
6 リトル・ベイビー

12曲で24分半という、平均2分という潔さがいい。これがロックンロール本来の姿だ。

4枚目のシングルとしてリリースされたB3「ワーズ・オブ・ラヴ」はまったくヒットしなかったが、後にビートルズがカバーしたことでよく知られている。自分の声で重ねたコーラスとギターのフレーズが印象的だ。あっという間に終わってしまうのが惜しいぐらい。

A2「ペギー・スー」は全米3位、全英6位の大ヒットとなった代表曲。
実を言うとわたしは若いころはあまりこの曲が好きではなかった。
そもそもあのしゃっくりみたいな歌い方も好きではなかったし、ペギペギスースーしか言ってないように聴こえて、なんだかカラッポで中身が無いように思えたのである。
なのに今聴くと、深いエコーのかかったゴロゴロいうドラムが面白いし、いきなり生々しい音で割り込んでくる間奏のギターも良いし、歌の情報量の少なさもなんだか侘び寂びみたいな魅力に思えてくるから不思議なものだ。

その「ペギー・スー」のシングルのB面に収録されていたのがB1「エヴリデイ」で、これがまた良い。超シンプルなメロディと、ちょっとだけひねったサビもいいし、「ファンシーミュージック」なんて言いたくなるような可愛らしいアレンジだ。小さな鐘のような清冽な響きはチェレスタという鍵盤楽器、ドラムの代わりにパタパタ鳴っているのは膝を叩いている音だ。ここでも様々なアイデアで実験的な試みがされている。そういう姿勢はそのままビートルズやストーンズをはじめとするイギリスのブリティッシュ・ビート・バンドたちに受け継がれていった。

B5「レイヴ・オン」は全米37位、全英5位とイギリスの方でよく売れた曲だが、スピード感があって現代的な感じがとても好きだ。A6の激しいロックンロール「レディ・テディ」もカッコいい。

それにしてもバディ・ホリーの音楽は、一見ものすごくシンプルなのに、ちっとも聴き飽きない。
むしろ、どうしてこんなドラムなんだろうとか、これはなんの楽器の音なんだろうとか、聴くほどに新たな発見もあって、聴けば聴くほどに面白くなってくる。

自分の声を重ねて録音するとか、ストリングスを入れるとか、後には当たり前となっていった、いろいろな実験をしてロックンロールの可能性を拡げたのもバディ・ホリーだ。
もしも彼が長く生きていたら、後にビートルズがやったことなどもすべて先にやってしまっていたかもしれないと思う。もしくはそれ以上のことも。

そう思うとあの「音楽が死んだ日」が本当に悔やまれる。

1959年2月3日、「ウインター・ダンス・パーティー」の演奏旅行に参加したバディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、ビッグ・ボッパーという若きロックスター3名を乗せた飛行機が、悪天候の中でアイオワ州のトウモロコシ畑に墜落し、パイロットを含む4名全員が死亡した。バディ・ホリーはまだ、たったの22歳だった。

この悲劇は、ドン・マクリーンが「アメリカン・パイ」で「音楽が死んだ日」と歌い、リッチー・ヴァレンスの生涯を描いた映画『ラ・バンバ』でも印象的に描かれている。

ちなみに当時バディ・ホリーのバンドメンバーだった3名は、座席に限りがあったためその飛行機には乗らず、寒くて不快なバスで移動するハメになったおかげで、生き残ることができた。その時のベーシストが、後にカントリー・シンガーとして有名になるウェイロン・ジェニングスだ。

ロックンロールの長い歴史の中で、バディ・ホリーはたったの2年間しか活動していない。
それでもロック史における、最重要アーティストのひとりだ。


↓ 全米3位、全英6位の大ヒットとなった代表曲「ペギー・スー」。

Peggy Sue

↓ 「ペギー・スー」のB面に収録された愛らしい名曲「エヴリデイ」。

Everyday

(Goro)