ロックの歴史を拓いたブリティッシュ・ビート・バンドたちには、大雑把に言うと、二派に分けられると思う。
一派はザ・ビートルズを筆頭とする、50年代のバディ・ホリー&ザ・クリケッツを手本としたような、ロックンロールを基底としたポップ指向のバンド。キンクス、ホリーズ、サーチャーズ、ジェリー&ザ・ペースメーカーズ、ハーマンズ・ハーミッツなどだ。
そしてもう一派は、この記事で取り上げる、ザ・ローリング・ストーンズを筆頭とした、ブルース・R&Bなどの米国のディープな黒人音楽のカバーをレパートリーの中心としたバンドだ。
英国の白人の若者が米国の黒人の音楽を演奏するというだけでも当時は革新的で、文化的な意味でも画期的なことであった。彼らはそうやって自分たちの音楽的なアイデンティティを築き、それを礎としてやがてオリジナル曲を書き、それが20世紀後半に若者たちを熱狂させた新しい音楽、”ロック・ミュージック”として世界中に広がっていった。
今回は、そんな彼らがオリジナリティを発揮するその前段階の、黒人音楽のカバーを中心にしていた時期の”黒い名盤”を取り上げてみたいと思う。
黒人音楽への愛と情熱に溢れたそのムーヴメントは、1964年から65年にかけて最も盛り上がった。
正直、シングルヒット中心のベスト盤で聴くより、よほどこちらの”黒い”オリジナル・アルバムの方がクールで激渋でカッコいいと思わせるバンドも少なくない。
そんな魅力に溢れた、すべてのロックの原点である”黒い”名盤を以下に選んでみました。
(以下、リリース順)
『ザ・ローリング・ストーンズ』(1964)
The Rolling Stones “The Rolling Stones”
1964年4月にリリースされたザ・ローリング・ストーンズの1stアルバム。これがブリティッシュ・ビートの最初の”黒い名盤”となっだ。ストーンズの音楽の源泉となった、チャック・ベリー、マディ・ウォーターズ、ボ・ディドリー、ジミー・リードなどのブルース・R&Bのカバーがズラリと並ぶ。
まさにストーンズの原点であり、そしてブリティッシュ・ロックの原点でもあるアルバムだ。若きストーンズのサウンドは、米国の地で熟成されたブルースを、若々しい疾走感と英国らしいポップな解釈で新鮮に表現した、クールで激シブながら躍動感あふれるカッコ良さだ。
『ザ・ファイヴ・フェイシズ・オブ・マンフレッド・マン』(1964)
Manfred Mann “The Five Faces of Manfred Mann”
比較的ポップな大ヒット曲「ドゥ・ワ・ディディ・ディディ」で知られるマンフレッド・マンだが、この1stアルバムは全く別のバンドのように真っ黒けの激シブだ。全14曲中、半分ほどがカバー、もう半分がオリジナルという構成になっている。
1曲目のハウリン・ウルフのカバー「Smokestack Lightning」からいきなりシビれるが、ヴォーカルのポール・ジョーンズはもともとブライアン・ジョーンズとデュオを組んでライヴハウスに出演していた経歴を持つ。そのブライアンが、キース・リチャーズと新しいバンドを組むからヴォーカルをやらないかという誘いを断ったという。これを受けていたらまた歴史は変わっていたのかもしれない。
『ファイヴ・ライヴ・ヤードバーズ』(1964)
The Yardbirds “Five Live Yardbirds”
ヤードバーズの1stアルバムとなった、マーキー・クラブでのライヴ録音盤。
このときのギタリストはエリック・クラプトンだ。オープニングで”スローハンド”の異名とともに紹介され、一際大きな歓声を浴びていることでも、彼がロック史上最初のスター・プレーヤーであったことが確認できる。
全編ブルース・R&Bのカバーであり、まだライヴ録音のためのノウハウも機材も確立していない時代のため録音は多少聴きづらいものの、激しい演奏と凄まじい熱気、臨場感が伝わってくる。
『プリティ・シングス』(1965)
The Pretty Things “The Pretty Things”
「最も過小評価されているバンド」とも評されるプリティ・シングスだが、まったくその通りだと思う。
1968年にリリースされた史上初のロックオペラ『S.F.ソロウ』が彼らの代表作として知られているが、わたしはハードなアプローチのブルース・R&Bのカバーを中心にしたこの1stも好きだ。愛想のないヴォーカルにエッジの効いたガレージ・サウンドはストーンズ以上の不良性すら感じさせる。
『ビギン・ヒア』(1965)
The Zombies “Begin Here”
個性的で素晴らしいシングル「シーズ・ノット・ゼア」や「ふたりのシーズン」などのヒット曲が知られているゾンビーズもまた、もっと評価されていいバンドだ。
およそ5年の活動期間でたった2枚のオリジナル・アルバムしか残さず、バンド内の不和によって惜しくも解散してしまった。
2枚目の『オデッセイ・アンド・オラクル』がコンセプト・アルバムの傑作として名高いものの、ボ・ディドリーやマディ・ウォーターズ、スモーキー・ロビンソンなどR&Bのカバーを多く含むこちらの1stも捨てがたい魅力に溢れている。
『アニマル・トラックス』(1965)
The Animals “Animal Tracks”
「朝日のあたる家」「悲しき願い」などのヒット曲で知られるアニマルズの2ndアルバム。全英6位のヒットとなった。
当時の英国のブルース・R&Bブームにおいて、白人の若いヴォーカリストたちが「いかに黒人のように歌うか」を競い合う中で、このアニマルズのヴォーカリスト、エリック・バードンは群を抜いていた。
60年代後半になってオリジナル曲が求められる時代になると、ソングライター不在のアニマルズは失速してしまったが、初期のR&Bのカバーはタイトでキレの良い演奏で、掛け値なしに素晴らしい。
『ゼア・ファーストLP』(1965)
The Spencer Davis Group “Their First LP”
“黒い名盤”というとわたしが真っ先に思い浮かべるのがこのスペンサー・デイヴィス・グループの1stアルバムだ。ここに選んだ10枚の中でも、最も濃厚に黒いフィーリングに満ちた名盤と言えるだろう。
オルガン兼リード・ヴォーカルのスティーヴ・ウィンウッドは当時たったの17歳でありながら、英国で最もソウルフルな歌声を聴かせる天才的なヴォーカリストだった。
『ファースト〜アングリー・ヤング・ゼム』(1965)
Them “The Angry Young Them”
ゼムは北アイルランド出身のバンドだが、英ロンドンで活動したのでブリティッシュ・ビート・バンドに含めても良いだろう。
当時20歳とはとても思えない塩辛声で熱唱するヴァン・モリソンは、ヴォーカリストとしてもソングライターとしても天才的な才能を発揮した。
これはパティ・スミスのカバーでも有名なモリソンの代表曲「グロリア」を収録した1stアルバムで、ジョン・リー・フッカーやジミー・リードなどのカバーも含まれる名盤だ。
『マイ・ジェネレーション』(1965)
The Who “My Generation”
ブリティッシュ・ビート・バンドたちが競うようにブルース・R&Bのカバーを中心とした”黒い”アルバムを制作したのは1964年から65年にかけてのおよそ2年間のことだったが、その末期と言える65年の年末にリリースされたザ・フーの1stアルバムは、すでに12曲中9曲がオリジナルである。
残る3曲がジェームズ・ブラウンの「アイ・ドント・マインド」と「プリーズ・プリーズ・プリーズ」、そしてボ・ディドリーの「アイム・ア・マン」のカバーである(米国盤は「アイ・アム・マン」が別のオリジナル曲に差し替えられている)。
パンクの源流と言われる歴史的名盤ではあるが、デビュー前はR&Bやシカゴ・ブルースを主なレパートリーにしていたモッズ・バンド、ザ・フーの原点も聴くことができる。
『クリス・ファーロウ&ザ・サンダーバーズfeat.アルバート・リー』(1966)
Chris Farlowe and the Thunderbirds feat. Albert Lee
ミック・ジャガーが惚れ込んだという、白人とは到底思えない黒い歌声を持つクリス・ファーロウは、ストーンズのマネージャー、アンドリュー・ルーグ・オールダムが設立したレーベルと契約し、「アウト・オブ・タイム」(全英1位)「シンク」などストーンズのカバー曲のヒットをきっかけにして人気を博した。
その彼がバンド名義でリリースした1stアルバムが本作だ。T.ボーン・ウォーカーの「ストーミー・マンデイ・ブルース」の激シブカバーで幕を開ける本作はどこから聴いても真っ黒けの名盤だ。
以上、ほとんどヒット曲が含まれていない激シブの”黒い名盤”10選でした。今あらためて聴いてもクールなレコードばかりだ。こういうアルバムこそ、一生聴いていられるというものだ。