Bob Dylan “Oh Mercy”
絶不調期からの脱出を賭けて、U2の『焔』や『ヨシュア・トゥリー』のプロデュースを手掛けたダニエル・ラノワをプロデュースに迎えた起死回生作。
ディランの自伝は、アルバム制作などにはほとんど触れていないのだが、このアルバムの制作経緯だけは詳細に触れられている。
当時、曲を書くことにもレコーディングをすることにも完全に意欲を失っていたディランが、自宅でU2のボノと夜明けまで飲み明かしたことが始まりだった。
ボノに「新しい曲は書いているのか」と訊かれたディランは、別の部屋の引き出しから書いた曲を出してきてボノに見せた。ボノは目を通して「レコーディングしたほうがいい」と薦めた。そしてプロデューサーにダニエル・ラノワを推薦し、その場でラノワに電話したという。
そんなふうにして出来上がった『オー・マーシィ』はディランの新たな魅力を伝える傑作となった。
このアルバムの録音が完了した時のことを、自伝でディランはこんなふうに書いている。
レコーディングを完了したときには、スタジオが一瞬、炎に包まれたように感じた。その場所はそれほどまでに張りつめていたのだ。ラノワは、しっかりとした命を持ち、いつまでも心に取りついて離れないアルバムをつくりあげた。
(ボブ・ディラン著 菅野ヘッケル訳)
今回は有名ミュージシャンたちも参加せず、ラノワがちょうどプロデュースしていたネヴィル・ブラザーズのサポート・メンバ―たちをそのまま使い、力強くてキレの良い、熱のこもった素晴らしいサウンドを実現した。曲も全曲ディランのオリジナルだ。久々にディランの真剣勝負を聴いた気分だ。
特に、情感豊かで美しい曲が並ぶ後半がわたしは好きだ。
こんなふうに発表順にアルバムを聴いてみるとわかるけれど、こんな魂の入ったディランの歌を聴くのはいつ以来だろう、と懐かしい気分にさえなる。
80年代に入ってから、流行のサウンドのほうへ自ら寄せに行ったり、ゲストミュージシャンをかきあつめてそのビッグネームに頼ったりと、迷走しまくっていたディランが、ついに地に足をしっかりとつけた彼らしい作品を創ることが出来た。
下降の一途をたどっていたセールスも、全米30位、全英6位と、遂にV字回復した。
まさに、絶不調期の地獄に仏、地獄にダニエル・ラノワである。
わたしはダニエル・ラノワのプロデュースによるU2の『ヨシュア・トゥリー』も死ぬほど好きだし、あらためて、レコードってやっぱりプロデューサー次第なんだなあと思うのである。
↓ 「モスト・オブ・ザ・タイム(Most of the Time)」。