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Jesus Jones
“Doubt” (1991)
くどいようだが、ジーザス・ジョーンズは人名ではない。1989年にデビューした、英ロンドン出身の5人組のバンドである。
当時流行のダンスミュージックやデジタルサウンド、サンプリングやヒップホップの要素などを全部あつめてロックのかたちにまとめるという、天才的な荒業で画期的なミクスチャー・ロックを創造した、フロントマンのマイク・エドワーズ率いるスケーターファッションの連中である。
初めて聴いたときは驚愕した。実験的で独創的でありながら、ポップなわかりやすさに「これは新しい! 売れる!」などと思ったことを覚えている。
そして本作からの先行シングル「ライト・ヒア、ライト・ナウ」がなんと全米2位という世界的ヒットとなったが、さすがにそこまで売れるとは考えてもみなかった。
でももうその3年後にはジーザス・ジョーンズはシーンから姿を消していた。
「一発屋」だの「時代のあだ花」だのという言葉で語られることも少なくない。「あだ花」とは、「実を結ぶことなく、はかなく散り去る花」という意味である。
実を結んだかどうかはわからない。しかし、彼らがなにを残したとか、なにを成し遂げたとかは、どうでもいいのだ。
たしかなのは、あの時代にたしかにジーザス・ジョーンズの音楽が鳴り響き、われわれはあのとき、その音楽を日々心に響かせて生きていたという事実、「流行歌」の存在意義とはそれだけで充分だとわたしは思う。
フロントマンのマイク・エドワーズは、当時の『クロスビート』誌に連載コラムを持っていた。毎月のニューシングルを批評するコラムである。
ニルヴァーナの「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」が出たとき、「いま、この曲が街中のいたるところで流れている。こんな時代が本当にやってくるなんてまさに夢のようだ」という意味のことを書いていた。しかしニルヴァーナのような生々しいアナログ・ロックの台頭で、ジーザス・ジョーンズのようなデジタル・ロックは影を薄くしていったのも事実である。
彼ら自身にしてみれば数年でシーンの前線から退いてしまったことを悔しく思っているのかもしれないが、時代を彩る主人公や「流行歌」が次々に移り変わるのはあたりまえのことで、だから世の中は素晴らしい、と言える。生まれてから死ぬまで、ずっと同じ音楽しか流行っていないとしたら、そんなつまらない世の中もない。
長く人気を維持したものがホンモノで、短命だったものがニセモノであるともわたしは思わない。
たとえそれが短命に終わろうと、その時代に生きる人の心に響いたものはすべてホンモノであるとわたしは思っている。
ジーザス・ジョーンズのあの一瞬の大ブレイクもまた、オリンピックで金メダルを獲得した一瞬の頂点と同じく、わたしにとっては永遠に記憶に残る瞬間だ。
本作は1991年1月にリリースされた、ジーザス・ジョーンズの2ndアルバムである。全英1位、全米25位、そしてヨーロッパ19カ国の総合チャートで全欧10位という世界的ヒット作となった。
今聴いたらたぶんキツいかなと思いながら何十年ぶりかに聴いてみたが、いや全然色褪せた感じがしない。独創的なサウンドに、親しみやすいポップな楽曲は、時代を超えてなお驚くほど生き生きと聴こえる。あだ花などではない、1991年というロックにとって奇跡の年に採れた最高の果実のひとつであり、ホンモノの名盤だ。
本作からの3枚目のシングル「インターナショナル・ブライト・ヤング・シング」はマイク・エドワーズが日本からイギリスに帰る飛行機の中で書いたそうだ。
「世界中の輝ける若者たちよ、きみたちが世界を揺り動かすんだ!」という歌詞だ。
「おれのことか!」と当時の輝けるわたしは思ったものだった。
まあ、若い頃なんてそんなものである。そういう輝かしいアホがロックを支えているのだ。
↓ 全米2位となったジーザス・ジョーンズ最大のヒット曲「ライト・ヒア、ライト・ナウ」。
↓ 全英7位、米オルタナチャート6位のヒットとなった「インターナショナル・ブライト・ヤング・シング」。
(Goro)