Public Enemy
“Bring The Noise” (1988)
わたしがCDプレーヤーを初めて購入したのは二十歳のときで、それまではレコードだった。
われわれの世代まではレコードという物体を、それはそれは大切に扱ったものである。家庭にあるもので、レコードほど大切に、優しさにあふれた手つきで扱われるものはなかったほどだ。
レコードは、ほんのちょっとのことでも傷がついて、音にノイズが入る。一度傷を付けたら二度と修復できない。せっかくの音楽が台無しである。だからできるだけ盤面に触らないように、盤の縁を両方の手のひらの腹でそっと挟んで、そおっとプレーヤーに乗せたものだ。
盤に埃が付着していてもノイズが入るし、静電気が付いていてもノイズが入るので、専用のスプレーをひと吹きして、クリーナーでクリンと拭き、そして最後はレコード針で傷をつけないよう、慎重に針を下ろす。まるで一連の儀式のように執り行われたものだ。昔は音楽が、それぐらい大切に扱われていたものである。
だからこそヒップホップのDJの、あのスクラッチとかいう手法は衝撃的であった。
レコードを直接手のひらでべたりと触って、ガリガリシュルシュルと前後に動かしたりする。
初めて見たときは「うわっ」と声をあげてしまいそうになった。
ひどい。やめてあげて。暴力反対。
まるで大事に育てられた箱入り娘が、ガサツ極まりない男に乱暴に弄ばれているような気分だった。それはまあ、ある意味刺激的ではあったけれども。
それはそうとして、当時から名盤と評価の高かったアルバム『パブリック・エナミー Ⅱ』を聴いたときは、新鮮な感動をおぼえた。
最新テクノロジーと原始的な手作業、社会派のシリアスなテーマと音楽を切り貼りするような遊び心。混沌とした馬鹿馬鹿しさとリアルな戦闘態勢が重量級のサウンドで暴力的に迫る。エネルギッシュな推進力は、初期パンク・ロックが持っていた闇雲なパワーを思い出させた。カッコいい、と思った。
しかしその歌詞の内容を知ってみると、自分たちの才能の自慢、ブラック・ムスリムへの支持、匿名の批評家への反論、ヒップ・ホップがロックと同等の正当な音楽ジャンルであるべきだという主張などであり、最後のはいいとしても他はわたしにはあまり共感できないか、理解不能だなと、ちょっと引いてしまった。
そしてちょうど同時期にオルタナティヴ・ロックが台頭してきて、わたしはそっちのほうに夢中になっていったのだ。
それ以来、ヒップ・ホップとは疎遠になってしまっている。
(Goro)