“Another Side of Bob Dylan”
初期のディランと言えば「反戦歌」や「プロテスト・ソング」のイメージが強かったけれども、実際にはそういう内容のアルバムは2nd『フリーホイーリン』と3rd『時代は変わる』だけで、この4枚目のアルバムでは早々と卒業している。
プロテスト・ソングもいいけれど、現実はもっと複雑で厚みのある世界だったりする。
たぶん他人がディランを真似て薄っぺらいプロテスト・ソングを歌い始めるのを聴いたり、世間のマウントを取ったつもりで悦に入ってるような連中たち、そしてディランをなにか世界革命でも起こすリーダーかなにかのように勘違いしているような信奉者たちから、いち早く逃げ出したのだろう。
ディラン自身、このアルバムを「指を差すような歌はひとつもない。人々のためのスポークスマンにはなりたくないんだ」と語り、「マイ・バック・ページ」では「あの頃の僕はジジイみたいだった。今のほうがずっと若い」と歌った、ディラン23歳のアルバムである。
実はこの「転向」には、あの2ndアルバムのジャケの美人、スーズ・ロトロとの別れが大きく影響もしているようなのだけれども、なんであれ、この素早い転向は正しかったと思う。だからディランは消えずに残ったのだろう。
そしてもうひとつ、歌詞の変化よりさらに重要な変化だと思うけれども、以前より歌のメロディや展開に重点が置かれ、全体にずいぶんポップになったことだ。
これは当時、アメリカのヒットチャートを席巻していたビートルズをディランも意識し、「彼らが音楽の進むべき方向を示している」と考えていたと言うから、その影響によるものであるのは間違いないだろう。
このレコードは昔からよく聴いた。
「悲しきベイブ」「自由の鐘」「マイ・バック・ペイジズ」「オール・アイ・リアリー・ウォント」「スパニッシュ・ハーレム・インシデント」などの名曲がずらり並んでいて、初期のアコースティック時代のアルバムでは、若い頃からこれがいちばん好きだった。
全米43位、全英8位と、前2作に比べてずいぶん売れ行きは悪かったみたいだ。なんとなくこれは本来のディランじゃないみたいな勘違いをさせそうなタイトルの悪さのせいもあったんじゃないかと思う。
これこそディランの本当の姿だったのだと思うけれども。
↓ 「悲しきベイブ(It Ain’t Me Babe)」
↓ 「自由の鐘(Chimes of Freedom)」