⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
Red Hot Chili Peppers
“Blood Sugar Sex Magik” (1991)
1991年9月にリリースされたレッチリの5枚目のアルバムは、レコード会社をワーナーに移籍しての第一弾だった。
1984年にデビューした彼らはEMIから4枚のアルバムを出していたが、ふざけているのか真剣なのかよくわからないような、キワもの感が強いマイナーなバンドのイメージだった。アルバムチャートでは前作『母乳』が全米52位まで上がったのが最高だった
しかし本作が全米3位の大ヒットとなり、突如として彼らはブレイクした。
その要因はワーナーの営業努力も関係あるのかもしれないし、オルタナティヴ・ロックの流行の波に乗っかったこともあったと思うけれども、やはり一番はプロデューサーがリック・ルービンに替わったことだったのではないか。
リック・ルービンは、80年代にヒップ・ホップを世界的に広める役割を果たした《デフ・ジャム・レコード》の創始者であり、ランDMCやパブリック・エナミー、スレイヤーなどを手掛けて大成功させた鬼才プロデューサーだ。
バンドはそれまでのプロデューサー、マイケル・ベインホーンに不満を感じていたという。
彼はフルシアンテにヘヴィ・メタルのような演奏をするよう説得したり、アンソニーにもっとラジオ向きの歌詞を書くように指示するなど、バンドの創造性を阻害していた。
リック・ルービンに替わっての本作は、楽曲のクオリティも音楽性の幅も一気に広がっている。フリーのベースの切れ味がより際立ち、フルシアンテのギターも冴えまくっている。
バンドの演奏に格段のキレが増したのは、よく整理された録音のせいでもあるだろう。本作を聴いてまだレッチリが「ふざけているのか真剣なのかよくわからない」などと思う人はいないはずだ。やっぱりプロデューサーって大事だな、と思う。
【オリジナルCD収録曲】
1 パワー・オブ・イコーリティ
2 イフ・ユー・ハフ・トゥ・アスク
3 ブレーキング・ザ・ガール
4 ファンキー・モンクス
5 サック・マイ・キッス
6 アイ・クド・ハヴ・ライド
7 メロウシップ・スリンキー・イン・Bメジャー
8 ライチャス・アンド・ウィキッド
9 ギヴ・イット・アウェイ
10 ブラッド・シュガー・セックス・マジック
11 アンダー・ザ・ブリッジ
12 ネイキッド・イン・ザ・レイン
13 アパッチ・ローズ・ピーコック
14 グリーティング・ソング
15 マイ・ラヴリー・マン
16 サー・サイコ・セクシー
17 ゼイアー・レッド・ホット
全17曲、74分。アナログでは2枚組の大作であり、「アンダー・ザ・ブリッジ」「ギヴ・イット・アウェイ」「ブラッド・シュガー・セックス・マジック」「サック・マイ・キッス」「ブレーキング・ザ・ガール」「イフ・ユー・ハフ・トゥ・アスク」など、これでもかというほど名曲が並んでいる。後に名盤を何枚も世に送り出したレッチリだが、本作が彼らにとって最初の大傑作であり、私見では最高傑作だと思っている。
わたしがレッチリを知ったのは87年頃で、当時はメンバー全員が全裸で股間に靴下を被せてライヴをしたりと、色モノの印象が強かった。まあ、面白いけれども、きっとトイ・ドールズよりも売れないにちがいないとわたしは思っていた。
それが今や、世界で最も成功したロック・バンドのひとつとなった。彼らのキャリアももう40年を超えるが、あの靴下男たちがここまでのビッグバンドに成長するとは正直、夢にも思わなかった。
92年には名古屋のライヴハウスで彼らのライヴを観ることができた。
オープニングからいきなり「ギヴ・イット・アウェイ」で爆発し、最後まで全力疾走のライヴだった。
そして、その夜を最後にフルシアンテはレッチリを脱退したと後で聞いて呆然としたものだった。理由は不明だったが、好き嫌いが分かれるとも言われる、わが名古屋の食べ物が気に入らなかったのだろうか、きしめんだろうか、赤だしだろうか、小倉トーストだろうか、などと当時は心配したものである(7年後に復帰した)。
↓ ファンクとヒップ・ホップとヘヴィなロックが融合した、「レッチリ」というジャンルとしか言いようのない代表曲「ギヴ・イット・アウェイ」。
↓ 全米2位の大ヒットとなった、代表曲「アンダー・ザ・ブリッジ」。レッチリのそれまでのイメージを覆す、シリアスなバラード・ナンバーだ。
(Goro)
![Blood Sugar Sex.. -Hq- [Analog]](https://m.media-amazon.com/images/I/61yNwuYSGwL._SL500_.jpg)

