その昔、1980年代後半に、イギリスにレイヴ・カルチャーというムーヴメントがあった。
英北西部の工業都市マンチェスターなどを中心に勃発した、若者たちが人里離れた廃校や巨大な倉庫を借り切って(ときには無断で)、一晩中大音量でアシッド・ハウスなどのダンス・ミュージックを流し、大麻やエクスタシーなどのドラッグを使用しながら踊り明かすという文化だ。
おしゃれなディスコやクラブと違い、あまりキレイなじゃない恰好の若者たちが集まり、音楽とドラッグに浸るその様は60年代アメリカのヒッピー・カルチャーを彷彿とさせ、「セカンド・サマー・オブ・ラヴ」と称されることもあった。
ハッピー・マンデーズはそんなマンチェスターのレイヴ・パーティーに夜毎参加していた、地元の幼なじみの悪ガキたちで結成されたバンドだった。
バンドを組んだ理由を彼らは「マリファナをやりながら楽しく生きられると思ったから」であり「目指してるものなんてなにもない」とのたまった。
メンバーにはセックス・ピストルズが好きな者もいれば、スライ&ザ・ファミリー・ストーンが好きな者もいたり、ヘヴィ・メタルやテクノが好きな者がいたりと、それぞれの嗜好がごちゃまぜになりながら作られた音楽は、ロックとダンス・ミュージックの融合という、結果的に画期的なものとなり、ストーン・ローゼスと共に「マッドチェスター」と呼ばれる一大ムーヴメントの中心的存在となった。
残念ながらそのムーヴメントは2年ほどで終息したけれども、その後の90年代ロックの大きな盛り上がりへの引き金となったことは間違いない。
彼らは調子に乗りすぎ、4枚目のアルバム制作時にあまりにも多大な費用とムダな時間を費やしすぎたため、所属の名門インディ・レーベル、ファクトリー・レコードを倒産させ、グループも93年に解散した。そのあたりは映画『24アワー・パーティー・ピープル』に詳しく描かれている。これを見ると最低の連中だったんだなって言うのがよくわかる。
逆にこんなギリギリアウトの反社集団みたいな連中が、たとえ一時の勢いでもよくこんな画期的な音楽を創造したものだと感心する。奇跡としか思えない。
それがロックというなんでもありなジャンルの懐の深さであり、闇の深さでもあると思うけれども。
以下は、わたしが愛するハッピー・マンデーズの至極の名曲ベスト5です。
Hallelujah
89年にリリースされたEPのタイトル曲。初期の2枚のアルバムまではどちらかというとダンス要素強めだったけれど、この曲のあたりからより歌メロが強調され、アレンジもロック的な要素が強くなっていった。
Bob’s Yer Uncle
全英4位となった名盤3rd『ピルズン・スリルズ・アンド・ベリーエイクス(Pills ‘n’ Thrills and Bellyaches)』収録曲。
アコギの軽快な響きとダンス・ビート、そしてぶっといベースがうねるという、独特の組み合わせのサウンドがカッコ良い。この曲はアメリカでのみシングルとしてリリースされた。
God’s Cop
3rd『ピルズン・スリルズ・アンド・ベリーエイクス』収録曲。カッコいいギター・リフに絡み合うベース・ライン、聴いているうちに脳内麻薬があふれ出てくるような曲だ。ハウス・ミュージックとロックを両立した稀有なバンドだったなとあらためて思う。
Step on
2ndアルバムと3rdアルバムの間、1990年3月にリリースされたカバー・シングルで、全英5位という彼らにとって最大のヒットとなった。
オリジナルはギリシャ系のシンガー・ソングライター、ジョン・コンゴズが1971年に発表して全英4位となったヒット曲。
このクセが強い原曲を見事にアレンジしたセンスは、反社集団とは言え、やはりただ者ではなかったと思う。
Kinky Afro
名盤3rd『ピルズン・スリルズ・アンド・ベリーエイクス』のオープニング・トラック。シングル・カットされて全英5位のヒットとなった、彼らの代表曲だ。
わたしはレイヴ・パーティーはおろか、ディスコやクラブにも行かなかったし、そもそも踊ることに興味がないけれども、この曲を初めて聴いたときは思わず立ち上がって、動物園のゴリラみたいに部屋の中をウロウロしたな。
入門用にハッピー・マンデーズのアルバムを最初に聴くなら、ベスト盤より彼らの最高傑作『ピルズン・スリルズ・アンド・ベリーエイクス(Pills ‘n’ Thrills and Bellyaches)』がお薦め。
また、ジョイ・ディヴィジョンやニュー・オーダー、そしてハッピー・マンデーズを生んだファクトリー・レコードの栄枯盛衰を描いた映画『24アワー・パーティー・ピープル』はその後半に、ハッピー・マンデーズの大ブレイクと凋落が描かれています。
(by goro)