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Dinosaur Jr.
“BUG” (1988)
音楽誌でダイナソーJr.が頻繁に取り上げられるようになったのは1990年頃のことだった。
彼らは「殺伐」というキーワードで語られた。殺伐系とか、殺伐ロックとか、そんなふうに。 そして「轟音ギター」という言葉も、わたしの記憶ではもともとダイナソーJr.のそれを指して使われ出した言葉だったと思う。
ダイナソーJr.は実質的にヴォーカル&ギターのJ・マスシスひとりのバンドと言っていいだろう。他のメンバーは安定せず、ひとりで全パートを録音したアルバムもある。
そのJはわたしよりひとつ年上だが、当時20代半ばにしてすでに贅肉だらけで腹も出て、髪は伸び放題、いつも眠たそうな目をして「面倒くさい」が口癖で、インタビューで「明日で世界が終わるとしたらなにをする?」と訊かれて「寝る」と答えたような、まったくやる気の無い言動でわれわれを笑わせてくれた。ロックスターのオーラなどまるで無かった。それは当時、同じ米国で最も人気があり、世界を征服する勢いだったロックバンド、ガンズ&ローゼスなどとは真逆の存在だった。ロックというものに対するわれわれの幻想を、根底から覆された気がしたものだ。
しかしJが奏でるロックは、眠たげでへろへろなヴォーカルと猛烈な轟音ギターが性急なビートの上で組み合わさった、衝撃的な音楽だった。 それはたしかに「殺伐」と表現されても仕方のない、愛想もなく夢もなくカッコいいポーズもなかった。 しかし抑圧された無意識がのたうち回って暴走するようなその異様にパワーのある音に、わたしは惹かれた。なんだかわからないが無性に愛おしく、かつてないほどロックに希望を感じた。
本作は1988年の10月にリリースされた、ダイナソーJrの3rdアルバムだ。
時代はバブル景気の真っ只中であった。 でもわたしのような社会の底辺でモゴモゴしてただけの者は、そのような景気の恩恵を感じたことは一度もなかった。 世の中は飲めや歌えの大騒ぎらしいが、それは別世界の話で、そこへ上がっていくはずの階段は、わたしの周囲には見当たらなかったのだ。
しかしこのアルバムのオープニング・トラック「フリーク・シーン」や91年の「ワゴン」などには、そんな閉塞感を打破するような希望に満ちた輝きとパワーがあった。 わたしは、ちょっとテンションを上げて前向きに頑張ろう、みたいな気分のときはいつも「フリーク・シーン」や「ワゴン」を聴いた。今でもこれらの曲を聴くとそのときの気持ちを思い出す。
ダイナソーJr.が在籍していたSSTというインディペンデント・レーベルの社長はニール・ヤングの大ファンで、ダイナソーJr.はニール・ヤングのモノマネだと思い込んで、彼らを嫌い、全然力を入れて売ろうとしなかった。
その社長を説得するために、同じSSTに在籍したソニック・ユースのキム・ゴードンが社長の寝室に忍び込み、枕の下にダイナソーJr.のテープを忍ばせるなどという涙ぐましい努力があったらしい。
おかげで3rdアルバム『BUG』はイギリスでも発売される運びとなり、本国アメリカよりも先にイギリスで彼らはブレイクした。
フェンダー・ジャズマスターのいかにも安っぽい音のイントロから、今起きたばかりみたいなJ・マスシスがモゴモゴと「フリーク・シーン」を歌い出す。 シンプルだけどポップな歌メロと、バカのエネルギーを全開で放出するような轟音ギターとの組み合わせが最高だ。前のめりの疾走感と耳あたりの悪さが素晴らしい。 間奏の、とち狂ってのたうち回った挙句に宙に放り投げられるようなギターソロもたまらない。
久しぶりに見たけど、何度見ても酷いPVだ。やる気ないな、こいつら。
あとジャケットも。
あの当時よくこんな酷いジャケットのCDに、お金を払って買ったもんだ。安月給でろくに金もなかったくせに。
そんな23歳のわたしを、よくぞ買ったと褒めてやりたい。
(Goro)