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“The Road To Memphis”
監督:リチャード・ピアース
出演:B.B.キング、ボビー・ラッシュ、ロスコー・ゴードン他
マーティン・スコセッシ製作総指揮『ザ・ブルース・ムーヴィー・プロジェクト』の1作。
テネシー州メンフィスのビール・ストリートはかつて黒人の街であり、朝まで営業する酒場やブルースやジャズを演奏するクラブが軒を連ねた盛り場だったという。ここからB.B.キングやハウリン・ウルフ、ルーファス・トーマスら、多くのブルース・マンたちが巣立っていった。
この映画は、そのビール・ストリートで行われる記念ステージのために招集されたブルース・マンたち、B.B.キング、ボビー・ラッシュ、ロスコー・ゴードン、アイク・ターナー、リトル・ミルトンなど、それぞれがビール・ストリートへと「帰郷」して来る様子を追ったドキュメンタリーだ。
昔の仲間が再会するところからではなく、そこまでの道程をロード・ムービー風に撮りながら、それぞれの現在の活動や生活、ブルースへの想いを浮き彫りしていくのがこの映画の面白いところだ。
わたしはとくに、B.B.キング、ロスコー・ゴードン、ボビー・ラッシュの3者の、対照的な人生に感銘を受けた。
ブルースは1950年代に隆盛を誇ったが、その後、ロックンロールやソウルが世界的に流行した60年代以降は徐々に下火になっていった。
しかしもちろんB.B.キングなどは別格だ。
彼は今でも、どこへ行っても人々に声を掛けられ、ブルースの王様として尊敬を集め、コンサートをすれば大きな会場に老若男女問わず、黒人も白人も集まる。
ビール・ストリートはかつて彼がストリートに立って演奏をし、史上初の黒人向けラジオ局のDJにも抜擢された”故郷”だった。今も彼が経営するクラブがあり、観光客で賑わっている。そんなかつての故郷にでっかいリムジンで颯爽と凱旋する。
一方で、15歳のときにキャデラックが買えたというほどのビール・ストリートの大スターだったロスコー・ゴードンは、人気が下火になると妻の勧めで1962年にメンフィスを去り、ニューヨークで20年以上クリーニング業に従事した。
彼がかつての故郷、ビール・ストリートを歩いていると、撮影に気づいた観光客たちがかわるがわる「ブルースマンか?」と声をかけてくる。でも、ロスコー・ゴードンの名前を言っても知る人はいない。
歩道のタイルには、リトル・ミルトンやボビー・ブランドの名前が刻まれているが彼の名前はない。「もう少し評価されたいよ」と、ロスコーは苦笑する。
そしてもうひとりのビール・ストリート出身のブルースマン、ボビー・ラッシュは、地方をドサ回りしながら年間200~300本のステージをこなす日々を送っている。バンドと共に、バスで移動し、バスの中で眠り、バスの中で生活する。
ステージでの彼は、派手な衣裳とアクション、熱い歌と下品なトークで会場を盛り上げる。
まるでジェイムズ・ブラウンと綾小路きみまろを足したような素晴らしいエンターテイナーぶりに、まるで公民館のような田舎の小さな会場は、年齢層の高い客たちの笑い声と歓声に包まれる。
ずっとバスで移動し続ける日々は決して楽な生活ではないだろうけど、彼は誇りを持って田舎町の人々にブルースのショーを届ける。
映画の締め括りともなる彼の言葉は印象的だ。
「落ちるときはとことん落ちる。だから今の状態に感謝だ。ブルースの席があり、ブルースの子たち(バンド)や、ブルースの車(バス)だってある。もし若くて軍隊に入るなら、ブルース軍に入隊して、ブルース戦争で戦う。なぜなら、俺はブルースだから」
さらにこの映画には、年老いたサム・フィリップスが登場する。
わたしは感動した。彼はまだ生きていたのだ。
サム・フィリップスは、メンフィスのサン・レコードの創立者であり、プロデューサーだ。
彼は、エルヴィス・プレスリーを発見した男だ。
ビール・ストリートのブルース・マンたちの多くは、地元のサン・レコードでレコードを録音していた。まだエルヴィス・プレスリーが発見される前の話だ。
サン・レコードでサム・フィリップスと仕事をした、アイク・ターナーがこう証言する。
「ラジオでも黒人の曲はかけてくれなかった時代に、サム・フィリップスだけは違った。彼には差別意識を感じなかった。俺は黒人だと意識したり恐れなくてすんだ。
”ここに座らねば”、”裏口へ回らねば”。ホテルでは3時間も車で待たされたことも。
だがここでは一度もなかった。それだけは絶対に言える」
50年近い歳月を経て、それぞれの人生を送ってきたブルースマンたちが、最後に同じステージで演奏し、それぞれの腕を振るって音楽をつくりだしていく姿は感動的だ。
(Goro)