The Band
The Night They Drove Old Dixie Down (1969)
まるで西部の大列車強盗団の最後の記念写真みたいなジャケの2ndアルバム『ザ・バンド(The Band)』収録曲で、リード・ヴォーカルはドラムのリヴォン・ヘルムだ。
歌詞は南北戦争の末期の日々の物語で、貧しい南部の白人の苦しみが一人称で語られている。
ザ・バンドのドラマー、リヴォン・ヘルムの自伝では次のように書かれている。
「オールド・ディキシー・ダウン」は、ぼくとロビーがウッドストックでつくった曲だ。
当時の歴史と地理を調べて歌詞を書き、ロバート・E・リー将軍を敬意をもってよみがえらせるために、ロビーを図書館につれていったのをおぼえている。
これもまた、完成までに「研究会」のようにして長い時間をかけた曲だった。この曲で初めて、ザ・バンドの特徴となった二分割のビートを使い、その後たくさんの曲で使うようになった。フル・タイムのリズムを刻むのではなく、それをふたつに割れば、ちがう形で歌詞をのせることができ、強拍の移動がスムースになり、踊りやすくなる。
後半のビートに関する言及も実に興味深いが、これを読むとリヴォン・ヘルムとロビー・ロバートソンの共作のようなのに、レコードのクレジットはロビー・ロバートソンのみの作となっているのも気になる。
ビッグ・ピンクの1stアルバムでは曲ごとに作詞・作曲に関わった人物がその通りにレコードに表記され、印税も正しく分配されていたようだが、この2ndの辺りからそれが実際と違ったものになり、金の分配に不公平感が募るなど、バンド内に不信感が高まっていったらしい。
ザ・バンドの内部事情はいろいろな不信と対立と混乱を極めたようで、それがあの早すぎる解散という結末になったようだ。
そういえばわたしは、数年前にザ・バンドに関する記事で「ザ・バンドというバンド名がダサい」と(愛をこめて)書かせていただいたが、このバンド名も実は、もともとクラッカーズという名前だったのをキャピトル・レコードが勝手に変えたもので、リヴォン・ヘルムは「ザ・バンドという名は、わざとらしくて尊大で威張ってる感じがするが、僕たちが付けた名前じゃない。僕はクラッカーズを主張した」と怒り心頭でその自伝に書いている。
そうだったのか、それは失礼した。
ちなみにわたしはたぶん同じ記事で「ドラマーが歌うというのがまたダサい」と(愛をこめて)書いたが、今はザ・バンドではリヴォン・ヘルムの声がいちばん好きだ。
人間なんて、年を取れば好みも変わるし言うことも変わるものだ。
ちなみにこの曲は1971年にジョーン・バエズがカバーして全米3位の大ヒットとなったが、リヴォン・ヘルムはこのカバー・バージョンが大嫌いだったそうな。わたしもだ。
↓ ジョーン・バエズによるカバー。
(Goro)