⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
Red Hot Chili Peppers
“Blood Sugar Sex Magik” (1991)
1991年9月にリリースされたレッチリの5枚目のアルバムは、レコード会社をワーナーに移籍しての第一弾だった。
それまで彼らはEMIから4枚のアルバムを出していたが、ふざけているのか真剣なのかよくわからないようなキワもの感が強いマイナーなバンドのイメージだった。アルバムチャートでは前作『母乳』が全米52位まで上がったのが最高だった
しかし本作が全米3位の大ヒットとなり、突如として彼らはブレイクした。
その要因は、ワーナーへ移籍したことも関係あるのかもしれないし、オルタナティヴ・ロックの流行の波に乗っけてもらったこともあったと思うけれども、やはり一番はプロデューサーがリック・ルービンに替わったことだろう。
リック・ルービンは、80年代にヒップホップを世界的に広める役割を果たした《デフ・ジャム・レコード》の創始者であり、後には《アメリカン・レコーディングス》というレーベルも立ち上げてあの素晴らしい晩年のジョニー・キャッシュのシリーズをプロデュースした鬼才である。
バンドはそれまでのプロデューサー、マイケル・ベインホーンに不満を感じていたという。
彼はフルシアンテにもっと重い音で演奏するよう説得したり、アンソニーにもっとラジオ向きの歌詞を書くように指示するなど、バンドの創造性を阻害していた。
リック・ルービンに替わっての本作は、ソングライティングも急成長し、楽曲のクオリティも音楽性の幅も一気に広がっているし、フルシアンテのギターも冴えまくっている。
バンドの演奏に格段のキレが増したのは、よく整理された録音のせいでもあるだろう。本作を聴いてまだレッチリが「ふざけているのか真剣なのかよくわからない」などと思う人はいないはずだ。やっぱりプロデューサーは大事だな。
“Under the Bridge”、”Give It Away”、”Suck My Kiss”、”Breaking the Girl”、 “If You Have to Ask”などの名曲がズラリと並んでいる。後に名盤を何枚も世に送り出したレッチリだが、本作が彼らにとって最初の”大傑作”だった。
わたしがレッチリを知ったのは87年頃で、当時は全裸で股間に靴下を被せただけの姿でライヴをしたりと、色モノの印象が強かった。トイ・ドールズよりも売れないにちがいないとわたしは思っていた。
それが今や、世界で最も成功したロックバンドのひとつとなった。彼らのキャリアももう40年を超えるが、あの靴下男たちがここまでのビッグバンドに成長するとは正直、夢にも思わなかった。
92年には名古屋のライヴハウスで彼らのライヴを観ることができた。
オープニングからいきなり「ギヴ・イット・アウェイ」で爆発し、最後まで全力疾走のライヴだった。
そして理由はわからないが、その夜を最後にフルシアンテはレッチリを脱退してしまった。名古屋が気に入らなかったのだろうかなどと、当時はえらく心配したものである(7年後に復帰した)。
↓ ファンクとヒップホップとハードロックが完璧に融合された「レッチリ」というジャンルとしか言いようのない唯一無二感がすごい、彼らの代表曲「ギヴ・イット・アウェイ」。
↓ 全米2位の大ヒットとなった、レッチリにとって初めてのバラード作品「アンダー・ザ・ブリッジ」。
(Goro)