’90年代ロック革命の金字塔 〜ニルヴァーナ『ネヴァーマインド』(1991)【最強ロック名盤500】#1

B00599UG9M
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

【最強ロック名盤500】#1
Nirvana
“Nevermind” (1991)

1991年の9月下旬、給料日後の最初の休みにわたしは、毎月恒例にしていたCDのまとめ買いに出かけた。

いつものように、買い物リストのメモを手に、名古屋市内のタワーレコードやHMVなどの大型CDショップをハシゴして回ったが、しかしその日はなぜか、どこの店でも見つからなくて困ったCDがあった。
発売されてまだ2~3日しか経っていないはずのニルヴァーナの『ネヴァーマインド』だった。

それはまだ聴いたことのないバンドだったが、音楽誌のソニック・ユースのインタビューでキム・ゴードンが「ニルヴァーナは凄い!」と一言だけ言っていたのをわたしの自慢の嗅覚が嗅ぎつけ、買い物リストに入れたものであった。3ヶ月ほど前に購入したスマッシング・パンプキンズの1stにハマってもいたので、このアメリカの新しい波にわたしの興味が注がれていたということもあった。

しかしメジャー・レーベルから出ている国内盤にも関わらず、どこを探しても見つからず、まあ無名のバンドだからそんなものかと思いながら、買い物リストの他のCDを一通り買い終えて、帰途についた。
あきらめきれずに、ためしに家のすぐ近所にある小さなCDショップを覗いてみると、普通に1枚置いてあり、わたしはホッとして購入した。

【オリジナルCD収録曲】

1 スメルズ・ライク・ティーン・スピリット
2 イン・ブルーム
3 カム・アズ・ユー・アー
4 ブリード
5 リチウム
6 ポーリー
7 テリトリアル・ピッシングス
8 ドレイン・ユー
9 ラウンジ・アクト
10 ステイ・アウェイ
11 オン・ア・プレイン
12 サムシング・イン・ザ・ウェイ

一人暮らしの木造ボロアパートに帰り、『ネヴァーマインド』をCDプレーヤーで初めて再生した瞬間のことは今でも忘れられない。

1曲目の「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」がボロアパートに響き渡ると、体に電流が走ったように総毛立った。

ポップなメロディと、ラウドで殺伐としたサウンドという真逆のように思えるものが見事に融合している。凄い、と思った。次々と曲を聴き進めながら、考えられないようなクオリティの名曲の連続に、凄い、凄い、凄いぞこりゃ!と興奮が抑えられなかった。セックス・ピストルズの『勝手にしやがれ』を初めて聴いたとき以来の衝撃だった。

半分聴き進めただけで、ああこれはとんでもない名盤だな、と思ったものだ。歴史に残るやつだ、と思った。そしてこのCDは、当時のわたしのいちばんのお気に入りとなった。

そして、翌月に出た音楽誌の記事で、わたしはやっと何が起こっているかを理解した。

編集後記のような小さな記事だったが、そこには「ニルヴァーナの『ネヴァーマインド』が全国のCDショップで品切れ続出」とあった。
ありえないような話に思えたが、どうやら本当らしい。どうりでなかなか見つからなかったわけだ。

特筆すべきは、このニルヴァーナ現象は、いつものような音楽メディアが主導したものではなかったということだ。ニルヴァーナをやたらと推す記事も、派手な広告も、それまで見たこともなかった。

レコード会社の戦略やマスメディアが作り上げたスターではなく、ただの普通の若いロックファンたちがただその音楽だけを気に入って支持した、それがなんの申し合わせもないのに世界規模で同時に起こったのだ。まだインターネットなんてない時代の話だ。そんなことが現実に起こるなんて、信じられない気分だった。なんだか世の中が変わり始めているように感じた。

ロックシーンは大いに活気づき、オルタナティヴ・ロックがメインストリームのロックを駆逐するという痛快な地殻変動が起こった。ロックが本来の熱さや鋭さ、リアリティを取り戻したのだ。『ネヴァーマインド』は90年代ロック革命を象徴するアイコンとなった。

全米6位という驚異的なヒットとなったシングル「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」はヘヴィなロックの体裁をとりながら、カッコつけたハード・ロックのパロディのようなユーモア感覚も含んだ画期的なものだったし、「カム・アズ・ユー・アー」「リチウム」「イン・ブルーム」など、静と動のメリハリ、メロディの独創性が際立つ名曲が、立て続けにシングルヒットした。

「ブリード」「ドレイン・ユー」「ステイ・アウェイ」「テリトリアル・ピッシングス」など、ライヴで映える楽曲もある。さらには「ポーリー」「サムシング・イン・ザ・ウェイ」といった内省的なものもあり、隅々まで楽しめるバラエティに富んだ内容だ。間違いなく、ロック史上の最高傑作に数えられる、歴史的名盤である。

そしてあろうことか、キング・オブ・ポップス、マイケル・ジャクソンの『デンジャラス』を叩き落として『ネヴァーマインド』は全米1位となり、全世界で3,000万枚を超すメガ・ヒットとなった。それからはもう、社会現象のようなあの騒ぎである。

ニルヴァーナがデビューした1989年から、ニルヴァーナが消滅した1994年まで。

わたしが人生で最もロックにのめり込んだのは、その時代である。

↓ 全米6位のヒット・シングルとなった代表曲「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」。

↓ 2曲目のシングル・カットとしてリリースされ、全米32位、全英9位となった「カム・アズ・ユー・アー」。

(Goro)

created by Rinker
Zach Top
¥1,770 (2025/12/08 09:14:55時点 Amazon調べ-詳細)
created by Rinker
UNIVERSAL MUSIC GROUP
¥4,995 (2025/12/08 09:14:56時点 Amazon調べ-詳細)

コメント

  1. アイアイ♪ より:

    1990年代、来日アーティストの行きたいライブはほぼ(無理をしてでも)行きましたが、行けなかったライブの筆頭がニルヴァーナ。当時英国帰りで英国被れだったワタクシは、そこまで彼らに執着がなく、用事があるから仕方がない、こんなに人気ならばまた来るだろとたかを括っていたのが運の尽き。悔やんでも悔やみきれない結末となりました。

    • Goro より:

      同じく、です。あれは92年でしたね。

      わたしの地元から近い場所としては、当時のオルタナやインディ系のバンドの多くがキャパ200人程度の名古屋クラブ・クアトロに来演していました。ダイナソーJrやスマッシング・パンプキンズ、ニック・ケイヴからバズコックスまで。

      その日わたしは、たまたま名古屋PARCO内のタワー・レコードで買い物を終えて、その上の階にあるクラブ・クアトロにいつものように立ち寄ってみたのです。
      名古屋のクアトロなんて、オルタナ系のライヴなら当日券でも入れるのが通常だったのですが、その日は人の列が、階段に延々と続いていることに気づき、すぐに異変を感じました。窓から外を見ると、8Fのクアトロからの階段の人の列が、外の路上まで続いていました。何度もクアトロに来ていましたが、こんな光景を見るのは初めてでした。

      今日なんのライヴだっけ!? とクアトロの窓口で慌てて確認すると、ニルヴァーナ!
      時すでに遅く、当日券はもちろん売り切れ。キャパ200人ですが、明らかにそれ以上の人が並んでいました。

      もう、悔やまれて、悔やまれて。。

      rockin’onの後ろのほうのページでライヴの予定をチェックしていたつもりでしたが、そのときはチェックを忘れていたのだろうと思います。
      几帳面さの足りない自身の性格を恨み、反省したものです。。