レーナード・スキナード『レーナード・スキナード』(1973)【最強ロック名盤500】#202

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【最強ロック名盤500】#202
Lynyrd Skynyrd
“Pronounced ‘Lĕh-‘nérd ‘Skin-‘nérd” (1973)

レーナード・スキナードは米フロリダ州ジャクソンヴィル出身の、サザン・ロックを代表するバンドだ。サザン・ロックは、オールマン・ブラザーズ・バンドが開拓し、レーナード・スキナードが完成させたとも言われるほどだ。

1972年には彼らは地元の人気バンドとなってライヴ活動をしていたところを、アル・クーパーに発見され、彼のレーベルと契約し、彼のプロデュースでレコーディングされた。

3人のギタリストを擁し、トリプル・ギターが特徴的なバンドとして知られるが、この1stの時点ではまだ正式なギタリストは2人である。

レコーディングの直前にベーシストのレオン・ウィルクソンが「有名になるのが不安」という実にナイーヴな理由で脱退したため、急遽ストロベーリー・アラーム・クロックのギタリスト、エド・キング(ジャケット右端)がベーシストとして加入した。彼はアマチュア時代からスキナードをリスペクトしていて、「必要になったらいつでも呼んでくれ」と話していたという。

しかしレコーディング終了後にウィルクソンがバンドに戻りたい意向を示したため、ベーシストとして復帰し、エド・キングは3人目のギタリストとして残ることになったという経緯だ。

3人のギタリストは全員がソロも弾ければバッキングも弾けるし、12弦ギターもスライドギターも弾ければ、マンドリンだって弾けるという腕達者たちである。しかもきちんと曲ごとに役割を分担して、余計な音を垂れ流さない、見事なアンサンブルを聴かせる。

サザン・ロックのバンドというと、なんとなくマッチョで豪放磊落なイメージもあるが、初めてレコーディング・スタジオで顔を合わせたときに、アル・クーパーは彼らが曲を完成させ、しっかり練習を重ねて来ていたことに驚いたという。しかも細部まで几帳面に決められたアレンジは、ほんの少しのアドリブも許されなかったという。

本作は1973年8月にリリースされ、全米24位のヒットとなり、200万枚を売り上げた。批評家の多くが絶賛し、彼らは一躍人気バンドとなった。

【オリジナルLP収録曲】

SIDE A

1 アイ・エイント・ザ・ワン
2 テューズデイズ・ゴーン
3 ギミー・スリー・ステップス
4 シンプル・マン

SIDE B

1 シングス・ゴーイン・オン
2 ミシシッピー・キッド
3 ポイズン・ウイスキー
4 フリー・バード

彼らは単に泥臭さやパワフルなだけではない、情感豊かな音楽性が特徴であり、哀切と重量感に圧倒されるA5「シンプル・マン」はそれを象徴するような代表曲だ。

A1「アイ・エイント・ザ・ワン」はまるでレッド・ツェッペリンのようなカッコ良さだし、デュアン・オールマンへの追悼曲でもあるB4「フリー・バード」はそのツェッペリンの「天国への階段」に匹敵するような、ドラマチックな展開で9分間とい長尺を見事に使ってみせた名曲だ。

勢いのある曲もあれば物悲しい曲もあり、リラックスした曲もあり、「ミシシッピ・キッド」のようなデルタ・ブギーもある、多彩な楽曲によって充実したアルバムだ。ブルース・ロックにとどまらず、カントリーの要素もあれば、ブリティッシュ・ハード・ロックの影響もある。

アルバムの原題「Pronounced ‘Lĕh-‘nérd ‘Skin-‘nérd」は、「発音はレーナード・スキンナード」という意味だ。

このバンド名は、ギタリストのゲイリー・ロッシントンが通っていた高校の教師、レナード・スキナーの名前をもじったもので、この教師が生徒の長髪に対して厳格な指導をすることにうんざりして、ロッシントンは高校を中退した。

アルバム・ジャケットに写った7人は、実はもうこの世にひとりもいない。
それを思うと、「フリー・バード」のメロディがまた余計に切なく、心を震わせる。

↓ 母親が子供に「不相応な欲を出さず、自分らしく素朴に生きなさい」と悟す歌詞の「シンプル・マン」。

↓ 代表曲として愛される「フリー・バード」。感動と熱狂の9分間だ。

(Goro)

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