Duran Duran
“Rio” (1982)
それにしても、いつかは来るものだ。
わたしはあの当時、自分がいつかデュラン・デュランの音楽を驚きと好感をもって聴く日が来るとは思ってもみなかった。
という言い方もファンの方には失礼な話ではあるが、まあわたしのブログでいちいち目くじらを立てていたらキリがない。
おっ洒落だなあ、と思う。
今聴いても感嘆する。
いや、今だから感嘆するのであって、当時十代後半のわたしにとって、デュラン・デュランはMTVに支配された80年代腐れロックの象徴みたいなバンドだったのだ。
MTV映えするルックス、最新の電子楽器や録音技術でピカピカキラキラと飾り付けられ、華やかで、軽やかで、スタイリッシュで、女子供に大人気で、いかにも商売熱心そうなポップなサウンド。
いやあ、嫌いだったなあ。
わたしは80年代のあの独特の、シンセ・ポップとか、ニューロマンティックとか、ああいったものが当時から苦手だったのだ。今から思えば、底辺職を転々としながら、金がなくて食うや食わずで、恋人はもちろん、友人すらおらず、フラストレーションが溜まりまくって破裂寸前の、歩く時限爆弾のようだったわたしにとって、何ひとつ共感できる部分がなかったのだ。
なので、わたしは80年代を、60年代や70年代の音楽を聴いて過ごした。
当時のわたしは、リアルタイムのロックは全部こういうオシャレでスタイリッシュなやつだと思い込んでいた。そして「あんなものはロックでもなんでもない」などと思っていたものだが、向こうに言わせれば「ロックじゃなくて結構」てなもんだろう。
しかしあらためて本作を聴いてみると、70年代には遅々とした進化しかしてこなかったロックが、ここで劇的なまでに変化した、その革新的なサウンドの創造に感嘆してしまう。
これに比べたらセックス・ピストルズだってオーソドックスな王道ロックでしかない。だから、もはやロックではなくなったのかもしれない、と言うことだってできるのだけれども、そんな、何がロックかなんて、考えてみたらどうだっていいことである。
1982年5月発表の本作『リオ』はデュラン・デュランの2ndアルバムだ。全英2位、全米6位の大ヒットとなった。
ちょうどMTVの開局という彼らにとっての追い風も加わり、アルバムからの2曲のシングルヒット「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」(英5位、米3位)、「リオ」(英6位、米14位)がヘビロテとなり、彼らは世界的なブレイクを果たした。もちろん、日本でもメチャクチャ人気があった。
【オリジナルLP収録曲】
SIDE A
1 リオ
2 マイ・オウン・ウェイ
3 悪夢の中の孤独
4 ハングリー・ライク・ザ・ウルフ
5 ホールド・バック・ザ・レイン
SIDE B
1 ニュー・レリジョン
2 ラスト・チャンス・オン・ザ・ステアウェイ
3 セイヴ・ア・プレイヤー
4 ザ・ショーファー
音楽だけではなく、ジャケットまでお洒落だけれども、考えてみれば、ロックの歴史において「お洒落ロック」なんてものはそれまで一度も存在したことはなかったのだ。お化粧男子のはしりと言えばグラム・ロックだが、あれはどちらかというと変態的なワイルドサイドの世界観を演劇的にやって見せている感じだった。
デュラン・デュランの人気を、所詮ルックスだけのアイドル人気だと当時の魯鈍なわたしは勝手に思い込んでいたが、今あらためて聴いてみれば、かなり攻めまくっていることに気づく。革新的なサウンド・プロダクション、素晴らしい作曲センス、その完成度の高さは、単なるイケメンお化粧バンドではない。
すでに40年以上前の音楽なのに、しかし今聴いてもお洒落だ。大正時代のモダンボーイやモダンガールたちのファッションが何周回ってもお洒落に見えるように、デュラン・デュランもやはり何周回ってもお洒落に聴こえるのかもしれない。
わたしはここへきてようやく、この80年代のネオンサインのようにカラフルでピカピカなサウンドを、一周回って新鮮に感じているのかもしれない。
長かったなあ。40年以上かかった。わたしは頭の回転が遅く、理解できるまでに人の数倍時間がかかるのだ。
と言って、じゃあ明日からデュラン・デュランにどっぷりハマるかと言ったら、べつにそうはならないけれども。
とことんダサい人生を歩んできたダサいわたしには、永遠のお洒落ロックは今でも眩しすぎるのだ。
↓ 全英5位、全米3位の大ヒットとなった「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」。リリース当初は米国での反応は薄かったが、MTVでPVが繰り返しオンエアされると、一気に人気が爆発した。
↓ 全英6位、全米14位のヒットとなった「リオ」。彼らにはPV撮影の予算として数千万円をEMIから前払いされていたという。EMIは彼らが売れると確信していたのだろう。
(Goro)