はじめてのメロディック・ロック【必聴名曲10組10曲】Melodic Rock Greatest 10 Songs

Journey(ジャーニー)の名曲、代表曲ならこの10曲を聴け | おにぎりまとめ
Journey

1970年代後半から80年代にかけて、世界的なメガ・ヒットを連発し、スタジアムに数万人の観客を集めてライヴを行い、数千万枚、数億枚というとてつもないレコード・セールスを誇り、技術的にも高度なレベルのロック・バンドなのに、なぜかあまりリスペクトされていなくて、逆に”産業ロック”などと揶揄されてきた、そんなロック・バンドたちが存在する。

“産業ロック”などという、いかにも嫌味な命名をしたのは、ロッキング・オンの渋谷陽一氏だ。1982年に雑誌のコラムで、フォリナー、ジャーニー、スティクス、REOスピードワゴンなどのバンド名を挙げながら、“産業ロック”と名付け、ロックが本質的に持っていたはずの革新性や反体制性がなく、大衆迎合的な売り上げ至上主義であると批判したのだった。

しかし、それらのバンドは当時日本でも大人気であり、この批判には多くのファンが怒り心頭だったようだ。

あれから40年。時代はすっかり変わった。

ロックはすでにあらゆることをやり尽くし、人気はヒップ・ホップやクラブ・ミュージックなどに奪われ、かつては地上最強だった恐竜たちのように、絶滅の危機に瀕している。

革新的だったロックも、商業的だったロックも、すべては過去の「クラシック・ロック」となり、思想や心意気の意義は薄れ、レトロとノスタルジアに包まれ、どんなスタイルであれ多様性として肯定される時代となった。

もはやこの”産業ロック”という前時代的な蔑称も、そこに込められた批判もピンとこない時代になったとわたしは思う。

かく言うわたしも、これらのバンドを積極的に聴くことはなく、別世界の皆様と思って距離を置いていたが、今あらためて聴いてみると、ラジオやなんかで聴いた記憶が蘇り、「懐かしいな」とか「面白いな」とか「立派なものだな」などと思いながら、楽しく聴くことができた。これを「成長」と言わずしてなんと言う。

ここでは、かつて”産業ロック”などと揶揄されながらも80年代を席巻したバンドたちを、“メロディック・ロック”の呼び名であらためて括り直し、代表的な10組10曲を紹介してみたいと思う。

(以下、発売順)

ボストン
宇宙の彼方へ (1976)
Boston – More Than A Feeling

B000EQ47GS
メロディック・ロックの先駆、あるいは原点とも言えるバンドの、全米5位まで上昇した大ヒット曲。

バンドの形態をとって入るものの、この曲を含む1stアルバム『幻想飛行 (Boston)』は、マサチューセッツ工科大卒の秀才、トム・ショルツが全曲を書き、ほとんどの楽器を演奏し、自宅の地下に構築したスタジオでシンガーのブラッド・デルプとともに多重録音して作られた。

特徴的なサウンドを生み出しているアンプやエフェクターなどの機材も、ショルツが自作または改造したものだった。バンドのメンバーはデビュー後に、ライヴ用に集められた。

カンサス
伝承 (1976)

Kansas – Carry On Wayward Son

B00005KK9M
4枚目のアルバム『永遠の序曲(Leftoverture)』からのシングルで、全米11位まで上昇、カンサスにとって初めてのヒットとなった。

プログレッシヴな展開、卓越したコーラスワーク、そしてキャッチーなリフを併せ持った曲でアメリカではクラシック・ロックの定番として今でもラジオから流れるという。日本でもよく知られたアメリカのTVシリーズ『スーパーナチュラル』のテーマソングとしても2000年代に再注目された。

REOスピードワゴン
キープ・オン・ラヴィング・ユー(1980)

REO Speedwagon – Keep On Loving You

Hi Infidelity (30th Anniversary Legacy Edition)

スティクスと同じくイリノイ州の出身で、1971年にデビューしたものの鳴かず飛ばずのままドサ回りの日々が続き「アメリカで最も売れていないが、長続きしているバンド」などと評されたREOスピードワゴン。

そんな彼らが突然の大ブレイクを果たしたのがこの曲で、全米1位の大ヒットとなった。この曲をした収録アルバム『禁じられた夜』はなんと、15週連続全米1位というメガヒットとなった。

ジャーニー
ドント・ストップ・ビリーヴィン(1981)

Journey – Don’t Stop Believin

Escape

米L.A.出身のジャーニーは、最初はインストゥルメンタル主体のプログレ・バンドとしてデビューしたもののセールスは奮わず、ヴォーカルにスティーヴ・ペリーを入れ、楽曲もポップ&キャッチー路線に変更すると大きな成功を収めるようになった。この曲は初の全米1位を獲得した7枚目のアルバム『エスケイプ』からのシングルで、全米9位のヒットとなった。

また、2009年にアメリカのTV番組でこの曲が使用されると、デジタルダウンロードで全米5位となるリバイバルヒットとなり、彼らの音楽が時代を超えて支持されることも証明された。

フォリナー
ガール・ライク・ユー(1981)

Foreigner – Waiting for a Girl like You

4 [12 inch Analog]

フォリナーはアメリカ人とイギリス人の混成メンバーで、ニューヨークで結成されたバンドだ。彼らは下積み時代が無く、1977年リリースのデビュー・アルバムから大ヒットし、以降はヒット連発となった。

この曲は4枚目のアルバム『4』からのシングルで、10週連続全米2位という記録を生み、アルバムは1,500万枚を超えるメガヒットとなった。

スティクス
ザ・ベスト・オブ・タイムズ(1981)

Styx – The Best of Times

B00599UEI0

米シカゴ出身のバンド、スティクスの10枚目のアルバムで、全米1位を獲得した代表作『パラダイス・シアター』からのシングルで、全米3位の大ヒットとなった。

抒情的なシンセ・サウンドに、ドラマチックなメロディが際立つ名曲だ。

エイジア
ヒート・オブ・モーメント(1982)
Asia – Heat Of The Moment

B000000OMB
エイジアは、元キング・クリムゾン、元イエス、元エマーソン・レイク&パーマー、そして元パグルスという4人のメンバーが集まって結成された、イギリスのスーパー・グループだ。

その1stアルバム『詠時感〜時へのロマン』は9週連続全米1位、日本でもオリコン15位と、1,500万枚を売り上げる世界的ヒットとなった。この曲はそのアルバムからのシングル・カットで、全米4位の大ヒットとなった。

元バグルスのジェフ・ダウンズが曲作りに参加しているが、ヴァース部分が「ラジオスターの悲劇」を想起させるメロディとなっているのはあえてのことだろう。

TOTO
アフリカ(1982)

Toto – Africa

TOTO IV~聖なる剣(期間生産限定盤)

TOTOはL.A.の腕利きのスタジオ・ミュージシャンたちが集まって結成されたバンドだ。AOR的な作風と、オーディオ映えする磨き上げられたようなサウンドが特長で、当初は本国よりも日本での人気が先行した。

この曲は彼らの人気を決定づけた『TOTO IV ~聖なる剣』からのシングルで、全米1位の大ヒットとなった。

サバイバー
アイ・オブ・ザ・タイガー(1982)

Survivor – Eye of the Tiger

アイ・オブ・ザ・タイガー

イリノイ州シカゴの出身、ブラス・ロックの元チェイスのメンバーや元アイズ・オブ・マーチのメンバーなどが集結したバンド。チェイスの他のメンバーは飛行機事故で死去していることもあり、70年代アメリカン・ロックの生き残りという意味で「サバイバー(生存者)」という名前がつけられたらしい。

この曲はシルヴェスター・スタローンに依頼されて書いた、映画『ロッキー3』の主題歌で、6週連続全米1位という大ヒットとなった。

ナイト・レンジャー
シスター・クリスチャン(1983)
Night Ranger – Sister Christian

ツイン・リード・ギターが特長の、米サンフランシスコのバンドで、1982年にデビュー。L.A.メタルのブームにも乗り、日本でも人気を博した。

この曲は2ndアルバム『ミッドナイト・マッドネス(Midnight Madness)』からのシングルで、全米5位の大ヒットとなった。80年代メロディック・ロックのバラード様式を決定づけたとも言われる代表曲だ。

以上、はじめてのメロディック・ロック【必聴名曲10組10曲】でした。

「産業ロック」という言い方が引っかかる、もしくは時代遅れだと感じる方々は、ぜひ、この呼び名「メロディック・ロック」をご活用ください。

(Goro)